








**「黄昏の旅館」**
夜霧が舞い降りる 峠の国道
旅の終わりに 小さな灯が見えた
「ここは時間(とき)が止まる場所」と
女将が笑い 部屋へと誘(さそ)う
畳の匂い 昔の歌謡曲
床の間には 誰かの写真
柱時計が 七時で止まり
茶香炉の煙 やけに沁みた
帳が下ると 世界は揺れて
影絵のように 記憶が滲む
ようこそ 黄昏の旅館
今夜も あの人を待ってる
夢とうつつの 境目の宿で
鍵のない扉が またひとつ
風鈴が鳴いた 誰もいない縁側
襖の向こうで 笑い声がした
「明日になれば 消えてしまうのよ」
浴衣の袖が そっと触れた
月明かりだけが 本当のようで
ふたりの影も 消えてゆく
ようこそ 黄昏の旅館
過去からの手紙が 届く場所
読みかけの恋 あの頃のまま
灯籠が 川に流れてく
蝉の声が止まり 雨のにおいが満ちる
玄関先の鈴 音もなく揺れた
「あなたも 忘れられぬ人なのね」
あの声は 夢だったのか
ようこそ 黄昏の旅館
心の隙間を 旅するひとへ
帰る道など どこにもなくて
それでも 灯りは ついている
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