








**「Martini Black」**
マティーニの縁を指でなぞる
その仕草が 少し遠く見えた夜
「帰りたくない」ってつぶやいた声
グラスの底で 泡のように消えていった
時計の音がやけに大きくて
沈黙の中で 私たちの距離だけが広がって
氷が鳴った瞬間 何かが決定的に
壊れた気がしたんだ
ドアの閉まる音
濡れたレインコートのにおい
部屋に残ったのは
湿った鼓動だけ
止まったみたいに動けなかった
マティーニ色の夜がゆれる
愛してたって、そう言ってくれたね
でも今思えば
あれはただ、静かな終わりの始まりだった
片方だけ脱ぎ捨てられたヒール
ソファの奥に沈む 微かな香水
ラベンダーと煙の残りかおりが
夜の隙間を満たしていた
置き去りのカップに口紅が残ってる
あなたの温度は消えて
部屋には空気の冷たさだけが
しっかりと残っていた
ブレスレットが小さく揺れてる
「大丈夫」って自分に言い聞かせた
だけど、あの目を思い出すたび
胸の奥が、まだ少し軋む
影でもいいから、そばにいてほしかった
あなたの嘘が 私の真実を縛っていた
どうして 名前さえも遠くなるの
溶けない氷みたいに
あなたは 私を置いていった
あのバス停 白い傘が一つ
雨のなか だれかを待っていた
私じゃない でもそれでも
心が勝手に 期待してしまう
鳥の声さえ 今日は静かすぎて
水たまりの音ばかりが響いてる
ごめんも ありがとうも言えなかった
ただ 間に合わなかっただけ
世界が静かに終わっていく
風がカーテンを少しだけ揺らす
言葉も触れた指も 曖昧になっていく中で
ひとつだけ確かだったのは
あなたが私を見なかった その瞬間だけ
逆再生みたいな鳥のさえずり
雨粒が胸の奥に落ちてく
「さようなら」を言わなかったあなたに
今、遅れて届くこの静けさ
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