








**「あの峠の手前で」**
九月の終わり 陽が傾いて
風が長袖を すり抜けていく
君は前を歩いて ザックが少し揺れてた
木立の間に 冷たい匂いがしてたんだ
「もう少しで峠だね」って 君がふり向いた
その笑顔が なんだか遠くて
足音だけが ふたりのあいだに残って
空は静かに 色を変えていった
君は何を見てたの?
あの峠の手前で 立ち止まったまま
風に溶ける 声のように
その場で ふっと消えそうだった
僕が呼んだ名前に
君は答えなかったけど
あの時 もう決まってたんだ
僕だけが知らなかっただけ
「誰かいたよ」って 君が言ったとき
木漏れ日の中 誰もいなかった
僕には見えない何かを 君はずっと見ていて
それを言葉にしないまま 笑った
下りの道は静かだった
さっきまでの会話も 嘘みたいに消えて
夕陽に染まる 稜線が綺麗で
でも君の目は 戻ってこなかった
君はまだ そこにいるの?
あの風の中に まぎれたままで
名前を呼ぶたび 木の葉が舞って
僕だけが 取り残される
あの峠の手前で
僕らは同じ景色を 見ていなかったんだ
一緒に歩いていたのに
心の向きが もう違ってたんだ
「もう何も見えないよ」って 君は言ったけど
目をそらす癖もなく まっすぐだった
今なら言えるかもしれない
僕は少し 怖かったんだ
君が見てたものが 僕には見えなかった
そのことが ずっと
離れないでいるんだよ
今でも 秋の風が吹くたびに思い出すんだ
(またね……)
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